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"場所"への愛。

11/5 足立一彦先生が亡くなられて1年。
一彦先生の描いた青垣の風景や佐治のまち並みに
青垣、そして佐治という場所への愛を強く、強く感じる。
\"場所\"への愛。_b0116276_18563742.jpg
昨年から丹波八宿青垣の秋のポスターに
一彦先生の描いた佐治のまちなみの絵を使わせて頂いている。

ポスターの絵に使わせて頂くことをお願いに上ったときには、
大変喜んで頂き、快く了解を下さった日のことを思い出す。

残念ながら、ポスターが出来上がる直前にお亡くなりになられ、
完成したポスターをお見せすることは叶わなかったけど、
奥様には大変喜んでいただき、涙ながらお礼の言葉を頂いたことが忘れられない。

僕が憧れる建築家(建築集団)に、「象設計集団」という方々がいる。
代表作には、沖縄の名護市庁舎や今帰仁村の集会所などがあって、
僕が「場所」と「建築」について今でも勉強させてもらっている建築家だ。

象設計集団は役場や学校など、一般的に公共性を求められる建築を数多く設計しているのだが、
彼らの考える「公共性」は、決して平等という意味の公共性ではないところが面白い。

「名護市庁舎を作るとして、二人の男と女がそこで恋に落ちたら、我々は幸せである」

僕も大好きな写真だが、彼らが設計した笠原小学校でのこと
「柱にひとりだけぽつんといた子の写真がある。ああいう子が居る場所を1カ所作ってやれれば成功である」

彼らの考える公共性に、いつもコトの本質を考えさせられる。

僕は佐治のまちで活動を始めて10年が過ぎたが、
このような活動をしていると、「公共性」という言葉が頭から離れることは無い。
何をもって「公共性」なのか。
この活動は「誰にとって」の幸せなのか。
僕らがつくる「場所」は誰のためのものなのか。

この問いに対して、
漠然とした言葉とイメージで片付けたくないという想いがいつもある。
だから「まちづくり」という言葉を簡単に使えない。

話が逸れまくっているけど…
僕にとっての「公共性」とは何かと考えたとき、
一彦先生の奥様の涙と、佐治スタジオが完成した時に涙を流しながら喜んでくれた、
向いのおばあちゃんの笑顔が思い浮かぶ。

今年の八宿のポスターも一彦先生の絵を使わせて頂いている。
奥様からは、「画廊は今年で閉めようと思っている」とお聞きしている。
寂しいけれど、これも一彦先生と奥様の決められたことなんでね。

ただ、僕に出来ることは、
一彦先生が愛した佐治というまち、青垣という場所を
大切に受け継いでいくということなのかな・・・と思う。

出町



by saji_saji | 2017-10-05 17:41 | 出町日誌
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